手放して一番嬉しかったもの

エッセイ

みなさま、おはようございます。

もう9年くらいシンプル&ミニマルライフをしているのですが、ものが減るにつれて、部屋や持ちもののような物理的なことだけでなく、考え方も自分のなかで少しずつ変わってきました。

ものが減るのが楽しかった

最初の頃は、とにかくものが減るのが清々しかったです。
どんな風に減るのかといえば、勝手になくなっていくわけではなく、捨てているのです。

「こんなに捨てるものがある…」「役立てられなかったものばかり…」「一体いくらお金を無駄にしているのだろう…」そんな気持ちもありつつ、それを上回る「部屋の余白がどんどん増えて爽快」という気持ち。

一度気づいてしまうと、あれもこれもといらないものが目について、これもいらないかも、なくてもいけるかも、と捨てるものを探すのが中心になってくるような。
部屋がすっきりしていくのは気持ちよかったけれど「捨てる罪悪感」が薄れていくのではないか、ということはなんとなく怖かったです。

手間が減って快適になる

少ないものの暮らしが安定してくると、手間が減るのが何より快適に感じました。

ものがないから掃除もしやすい、限られたものしかないから選びやすい、美容もシンプルにしてみたら頑張らなくてよくなった…今まで思い込んでいた手間が減って、結果的に自分が快適でいられる、ということが嬉しかったです。

しかし手間を減らすことに注力しようとすると「使い捨てする」という方法もたくさん目にするようになりました。
少ないもので暮らしている人が環境意識も高いとは限らないから当たり前ですが、使い捨てした方が手間の面ではラクな場合があるのも理解できます。

でも、そこで頭をもたげるのが「捨てる罪悪感」のこと。ものを減らしても、今度は手間を減らすために使い捨てるものが増える…私にはその方法はしっくりこなくて、少ないもので暮らすにしても「なるべく捨てない」「環境に負担をかけない」という視点を持ちたいと思ったのでした。

「捨てる」を手放す心地よさ

そうして最終的に、捨てるものがかなり減る生活になりました。

部屋の中のものを捨てることがほとんどなくなったら、日常的に出る生活ごみも気になり、それを減らす方法を模索するようにもなりました。

もちろん買ったり捨てたりは個人によって異なるから、こうすべし!ということを言いたいわけではなく。

ただ、少ないもので暮らすことを9年続けてきて、私の場合、手放すことができて一番すっきりしたのは「ものを捨てるということ」だったのだな、と思うのです。

ものを捨てるのって、すごく大変なのですよね。
お金がかかる場合もあるし、体力も消耗するし、精神的にもすり減る感じがする。
だから「捨てなくていい」ということは私にとって単純に快適なのです。

なるべく捨てない、捨てるときは責任を持つ

私が意識しているのは、なるべく捨てないこと。

まず、長く大切にたくさん使えるものを選ぶこと。自分自身や自分の生活について理解が深まると選びやすくなります。

真剣に選んで、買ったときは長く大切にたくさん使えると思ったけれど、そうでなかった…というときもあります。
必要なものは生活や気持ちのちょっとした変化でも変わってくると思います。そのときは捨てるのではなく、メルカリやジモティー、リサイクルショップなどで必要な人に譲ります。

多くの場合、決して得はしておらず、大体買ったときより安く次の人にバトンタッチするのですが、でも捨てるよりずっと役に立ちます。そうやってものを循環させていくことで、捨てるという最終手段を避けられると思います。

たくさん使ってもう本来の役目を果たせないくらい使い込んだら、雑巾やウエスとして生活の中で役立ってもらい手放すことができたらいいですよね。捨てるときは最後まで責任を持てたらいいな、と思っています。

まとめ

私がシンプル&ミニマルな生活で手放して一番嬉しかったのは、「ものを捨てるということ」でした。
もちろんまだまだ道半ばですが、少しずつそうできていることで、純粋に心地よい暮らしに近づいている気がします。

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