みなさま、おはようございます。
ホーチミンシティに来て以来、あらゆる身の回りのものが少ないままなのですが、不思議なことに、少なくなればなるほど、「こんなにある」と思うものだと気付きました。
はじめは「足りなければ現地調達しよう」と思っていましたが「足りないどころか、こんなにある」と思うようになったのです。
私にとっていちばん顕著だった服とアクセサリーを例に、そのことについて書いてみます。
増えずに減るクローゼットの中身
当初はこんなラインナップのクローゼットでした。(冬服やスポーツウェアは除きます)
- 黄色のワンピース
- ベージュのワンピース
- 黒のワンピース
- 赤いスカート
- デニムパンツ
- リネンパンツ
- リネンシャツ
- ノースリーブトップス
計8着
この場所で自分にとって快適な服が分かってきた結果、現在はこうなりました。
- 黒のワンピース(赤スカートで裾足し済)
- デニムパンツ
- リネンパンツ
- リネンシャツ×3(うち2枚は夫のおさがり)
- ノースリーブトップス
計7着
少し入れ替わりがありつつ、1着分減りました。
手放した服はすべて衣料品店に寄付しています。
ちなみに「寄付」というと聞こえは良いですが、ファストファッション店の古着回収なので、回収された衣類がその後どうなっているかは正直心配です。
私が日本にいたならメルカリで次の方にバトンタッチしたかったです。
でもそれよりも、服は責任を持って迎え入れ、大事にたくさん着て、最終的にウェスにするなど、自分のなかで終わりまで使うのが良いように思います。
話をワードローブに戻すと…現在リネンシャツは夫のおさがり2枚を合わせて計3枚ありますが、2枚で十分かなと思っています。
ホーチミンシティに来てもうすぐ6か月ですが、1枚も服を買わずに済んでいます。
日本はホーチミンシティより気候の区分が多いのでもう少し服のバリエーションが必要にはなりますが、以前の私は体を守る以外の意味合いで服を買っていたような…
もちろん、自己表現や純粋な楽しみのためのファッション、というのも大好きです。
でも自分においては、それを本当に求めているわけではないのに求めていると勘違いした結果、買い物にまつわるリソースを消費していたように思います。買うものを探し、調べ、店頭に見に行き、試着し、買い、管理する…そのための時間、体力、気力などなど。
ほとんど毎日、ゆったりシルエットのシャツとパンツですが、これが今の私のスタイル、と思えるほどには満足しています。
ちなみに、数が減れば減るほどいい!と思って服が減っているわけではないのです。
ごく自然に手が伸びなくなって、私のもとでは十分に活用できないと思って手放しています。そうして少なくなっていくほど、不思議と「私のもとにはこんなにある」と思えて、1枚1枚を大事に、たくさん使うことができています。
ずっとたくさん持っていたアクセサリー
7着で生活するずっと前のことを考えても、服の数は平均よりは少なかったと思います。
でも比較的多かったと思うのが、アクセサリー。
初めてブログでアクセサリーを紹介したときは、今以上にたくさんありましたね。
このときから手放したものもあります。
気持ちの区切りがついたものから、すべてメルカリで次の方にお譲りしました。
反対に、このときから増えたものも。
増えたけど、気持ちに合わなくなって一時保管しているものもあったりして。
「気持ちに合わなくなって」半分、「服に合わなくなって」半分、が正直なところかもしれません。あ、あと「気候に合わなくなって」もあるかも…
日本にいた頃は今より多少服のバリエーションがあったので、アクセサリーで変化をつけたりして楽しんでいました。
ところが今は、リラックス感のあるシャツ&パンツスタイル。存在感のあるイヤリングやロングネックレスはアクセサリーばかり目立ってしまう気がして。
そして、年中30℃前後で汗ばむ毎日なので、手首や首まわりのアクセサリーはべたつく感じがしてちょっと苦手。
お気に入りのものがいくつかあるので、活用したくてときどきつけてみるのですが帰宅したらすぐ外したい気持ちになります…
そんなわけで、日々本当に使うものだけを実験的に並べてみたら、こうなりました。
少ない。
でも、これで何も不便しないのですよね…
左薬指の結婚指輪、右薬指のシルバーリングは全く外さないので、それを除くと、本当に出番が多いのはこれだけ。
平日、カフェに行き勉強するときは、腕時計だけか、気分で葉っぱのリングを。
夜、外食するときは、腕時計とガラスのイヤリング。
週末、ランチやカフェに出かけるときは、腕時計とパールイヤリング。
腕時計と3つのアクセサリーだけでも、私には十分なのだなと。
私の日常でアクセサリーが足りないと感じる場面はないし、すべて最低でも週1回は
使っています。それより少ない頻度でしか使わないものは、持て余しているように感じてしまいます。
ものの数としては以前よりだいぶ少ないですが、今の私の生活や気持ちとしては、「こんなにたくさんある」と思えるので不思議です。
まとめ
ものとしては減っているのに、たくさんある、と感じられていることについて書きました。
使わなくても思い入れのあるアクセサリーは、アクセサリーとしてではなく、思い出の品として大切にしてもいいのかもしれませんね。
これから先、またどこかのタイミングでアクセサリーとして復活することがあればそれはまた良し、という感じで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!何か参考になることがあれば嬉しいです。