手放すか迷う物はすでに手放したい物かもしれない

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「これは手放そう」とあっさり思えるものと、「手放そうかな?どうしようかな?」と迷ってしまうものがあります…

何度目かの手放し会議

手放そうか迷う物というのは、実は今までにも「手放そうかな、どうしようかな」と何度か考えてきた物だったりして…
「またこの物についてどうするか考えているな」と思うことがあります。

最近またそのように考えることがあって、その時に気づいたのが…

「手放そうかな?」と考えたものは、もう頭の中では半分手放しているな、ということ。
でもまだ心が物に執着している、そんな感じでしょうか。

持っていたい物は、たとえ日常的に使っていなくとも、そもそも手放そうとは思わないものだな、とも感じます。

「手放そうかな?」と考えるものは、思い出と紐付けてセンチメンタルになっていたり、物としては気に入っているのだけど今の自分のライフスタイルや使い方と合わないところがあるなど、何かしら「うーん」と思うポイントがあったり。

そして、手放しにくいものの筆頭といえば、形見や思い出の品、ですよね。

形見や思い出の品

物を手放しても、思い出は消えないから大丈夫なのですが…そうは言っても手放しにくい。

私も亡き父方祖母の形見のジュエリーを譲り受けているのですが、最近は実用的な出番はかなり減っています。
使わなくても定期的に眺めて愛でてはいるのですが、やはり本来の用途で使っていないことに対して、一抹のもやもやがあったりも。

私が譲り受けたジュエリーはごく一部なのですが、母はその何倍もの量を受け継いでいます。
ジュエリーボックスで大切に保管しているし、節目の行事で積極的に身につけるようにしているようですが、同時に「どうしたものか…」という気持ちもあるようで。

当たり前のことですが、形見として譲り受けたものは、自分で選んで購入したものではないのですよね。

それに、父方の祖母と母は体型も雰囲気も好みも異なるので、祖母が好きで似合っていたものが、母に似合うとは限らない。

譲り受けた物に加えて母が自分で持っているジュエリーもあるわけで、そちらの方が自分の好みだし似合うので、本当に使いたい物はそちらだったりすることも…

ある時母が軽い感じでぽつりと「こういう物って背負わせちゃうことになるからね」と言っていたことがあって。

祖母の形見のジュエリー、行き先を決めた数えきれないほどの祖父母の遺品、父と母が二十歳の記念に私に贈った真珠のネックレス(私は今の生活では冠婚葬祭の時しか使っていない)など、いろんな物のことを思ってのひと言だったのだろうな、と思います。

特に形見というのは、元々自分の物ではないうえに、家族にもその存在が共有されている物だから、その点でも手放しにくいですよね。自分の独断で決めてはいけないような。

「手放すね」って宣言したり、「手放して大丈夫だよ」って言ってもらいたくなるような感じがあるなと、個人的には思います。

祖父母を見送った私の父母自身も60歳を過ぎているわけで、遺品を片付ける大変さも経験済みなので、早めに持ち物の整理をお願いしたいな…と思っている所存です。(一番上の弟以外はもう地元には住まない予定なので、今後の人生でまとまって片付けを手伝えるタイミングがあるかかなり微妙なところなのもあって…)

次の日本一時帰国では自分の実家にも帰る予定なので、祖父母の残した品について、自分だけでどうしようか悩んでいないか、母に聞いてみようと思います。(父は何も考えず、とりあえず全部取っておこうよ!というタイプで、母から父にはそういう話がしにくいと思うので…)

ただ持っている=物を大切にしている?

ちなみに、「ただ持っている」ことが物を大切にしているわけではないと私は思っています。

持っていても、置きっぱなし、しまいっぱなしにして、メンテナンスもせず、飾ったり眺めたりしないのであれば、それは大切にしているのではなく、物の存在を忘れていることに近いかもしれません。

それよりは、役立ててくれる次の人や場所にバトンタッチする方が、物のことを考えて大切にしていると言えるのでは?とも考えられます。

とはいえ、人からプレゼントしてもらった物、譲り受けた物は手放しにくい。

私が不要になった物のうち、妹が欲しい物を譲るということがたまにあるのですが、「好みが変わったらいつでも好きな方法で手放してね」と伝えるようにしています。

事前にそう申し合わせておく方が、お互いに気が楽かなと思っています。

私の後に残された物はどうなる?

海外暮らしなのもあり、何かの事件や事故で、急に私がいなくなるということも、無くはないなと思って暮らしています。(余談ですが、先日ホーチミンシティで日本人が殺害されるという痛ましい事件がありました。これは究極的な例ですが、トラブルに巻き込まれる可能性は全然あるわけで)

私が特に気に入っていて、残された人の記憶にも残っているものは、もしかすると残された人が持つか、次の人に譲るなど、丁寧に扱ってもらえるのかもしれないけど…

いわゆる日用品の類は、私がどんなに気に入っていても、残された人にとっては「他人の日用品」です。

自分のところにもすでに日用品はあるわけなので、もったいないと思っても、結局のところ、その多くは処分することになります。(1点ずつ売りに出すことなどもできるけど、それってかなりの時間と労力を要しますよね)

もし、手放すかどうかすでに迷っているものを手元に置いておくとして、私が死んだらこの物たちはどこへ行くのか?などと考えてしまいます。

残されたものの行方を決めることすらすでに大変なことだから、ひとつひとつ丁寧に決めるのはほとんど無理なわけなので、できる限りその数を少なくしておきたい。

自分が手放すかどうかを決めないものは、誰か他の人にその判断を委ねることに他ならないのだな、と思います。

この私ですら手放しにくいと感じるのだから、家族などもっと手放しにくいと感じるはずだし…
たぶん手放せずに、ずっと置いておくだけになり、そのまた誰か他の人の手に委ねられることになるだけなのだろうな、と想像できます。

そう考えると、自分の持ち物の行き先くらい、自分で判断しよう、と改めて思います。

まとめ

手放すかどうか迷うもの、について書きました。

使うにしても、とっておくにしても、手放すにしても…結局は自分で決めることが大切で、そのうえでの決断ならば、どんな決断も「それで良し!」なのではないかなと思います。

何か参考になることがあれば嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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