みなさま、おはようございます。
ホーチミンシティでの暮らしも1か月を超えました。
今日はこちらで暮らしていて感じることをひとつ。
わりと本気で、ある日持ちものすべてを失う可能性ってあるよな、と思いながら暮らしています。
(お金を持っていそうな)外国人であること
人々の基本移動がバイクなので、徒歩で歩いているだけで目立つということもあるのですが、顔立ちや服装や持ちものから、「外国人だな」と思われているなということを、人々の視線から感じます。
初めて他の国で暮らすことになって「外国人として暮らす」とはこういう感じなのだな〜ということを、日々しみじみ感じています。
私自身、いつも同じような着古した服ばかりだし、金目のものを持っていそうな雰囲気はないと思うのですが、それでもやっぱり、外国人=お金持っていそうだし油断していそうという目で見られるのだなという体験を、1か月という短い時間でもいくつかしています。
ひったくり未遂に遭って、はっとした
それを最も感じたのが、ひったくり未遂にあったこと(!)。
バイクの男女2人組に白昼堂々、すれ違いざまにバッグを奪われそうになりました。
一瞬のことだったけれど、前から来たので受け身ができたのと、連日の筋トレの成果で意外にも私の力が強かったからか、バッグは死守しました(その日に限ってパスポートが入っていたのです!)。
そのとき思ったのが、「ひったくり、本当にあるんだな」ということ。
情報としては知っていたし、用心深い方なので日本にいるときからバッグは道路側や人とすれ違う方で持たないとか、こちらに来てからもかなり注意していたのですが、白昼堂々挑まれるとは!という感じ。
配偶者の職場の方々もすれ違いざまにスマホを奪われそうになる、財布やスマホをすられるということは何度も経験しているそうで、改めて珍しいことではないのだと思いました。
また、バイクですれ違いざまにネックレスを引きちぎる犯罪もよくあるそうで、ひったくり未遂を経験した私としては、明日はわが身…という思いです。
ひったくり未遂後帰宅して、自宅の部屋を見回してみると、あることに気づきました。
他人がアクセスしやすい生活空間
そういえばこの部屋だって、入ろうと思えばスタッフの方は入れてしまうのだよな、何か持ち帰ろうと思えば簡単にできてしまう、と思いました。
私はサービスアパートメントという形態の住居に暮らしていて、洗濯機やキッチン付きのホテルでロングステイしているようなイメージです。
住んでいるのはほとんど外国人で、何か問題があればフロントスタッフの方々がすぐ対応してくれる心強さはあるのですが、スタッフならば部屋には簡単に入れてしまいます。私が部屋にいるときも、いないときも。
ここに来たときも感じたけれど、改めて、「ある日持ちものすべてを失うってこともあり得るよな」と思ったのでした。
大事なものを持てないのか、着たい服やバッグを諦めるのか
スーツケース1つとバックパック1つに入れてきた、少ないけど大事なものが、簡単に人に奪われる世界…とやんわり考えてみる。
いや普通に嫌!無理!大変!
部屋はいつも整然とさせており、ものはなるべく見えるところに出さずクローゼットや扉付きの棚にしまっているけれど、それ以上の気をつけ方って?と思ったり。
それに、ひったくり未遂にあったことは5億パーセント犯罪者が悪いのに、その理由を自分のなかに探そうとしている自分にもはっとしました。
私が外国人だから、日本人だから、女性だから狙われたのかな?あの服やバッグや時計やアクセサリーを身につけていたから狙われたのかな?などなど。
持ちものを失う可能性があるだけでなく、着たい服やバッグまで諦めねばならないのか?
…なんてちょっと悲観的にもなります。
とにかく、普段のスーパーへの買い物は手ぶらで。カフェに行くときは、パソコンなどは持って行かず盗まれてもいいもの(そんなものはないけど)をスーパーの袋にでも入れて持ち歩くことにしようか、おしゃれな服やアクセサリーは配偶者とタクシーで出かけるときだけにするかなあ… などなど考える。
改めて、ものへの執着と少ないもので暮らすこと
そこで改めて、原点回帰のようですが、「ものへの執着」と「少ないもので暮らすこと」について思い巡らしてみました。
ミニマリスト界隈では「ものに執着しない」というのはよく言われることで。
私も、「生存・安全・心身の健康」が最優先と思っているから、ものは二の次!と思ってはいるけれど、でも「少ないけれどお気に入りのもの」に囲まれて暮らしていて、それには執着というか、愛着があるのも事実。
ひったくりは未遂に終わったけれど、もしバッグが奪われていたら、バッグとその中身が奪われたというその物理的なこと以上に、精神的にもっとショックを受けていたと思います。人の悪意や出来心によって、自分が大切にしていたものを突如奪われて傷ついたという事実が悲しくて。
その意味では、「執着して」バッグを守り抜いて本当に良かったと感じてもいます。もちろん、体や命の危険があったらいつでも手を離す準備はできているけれど。
そして、少ないもので暮らすこと。とくにひったくり未遂以降感じている、手ぶらで出かけることの良さ。
スーパーには一人で週に何度か行くので、その時ですらバッグは持たずに、ポケットに必要なものを入れて出かけています。
買い物メモもスマホではなく紙切れに書いて持っていく。現金は必要な分のみをそのままポケットに入れる。エコバッグもポケットに。
そんなことですが、今は人が取りたくなりそうなものを何ひとつ持っていないということが、安心感だけではなく、なんかラクだ!とも感じます。
純粋に身軽であることと、注意しておくべき対象が「もの」にはないということが「ラクだな」と思う正体なのかもしれません。
まとめ
ひったくり未遂で糸が取れてしまったバッグの取っ手。これ、私が持っている中で唯一まともにものが入るバッグなのですが!
次の一時帰国のタイミングでお直しに出します。これからも大切に使いたいから。
とりとめも結論もないですが、最近考えていたことについていろいろと書きました。海外暮らしで今まで見えなかったことが見えたりするものですね。その時々のことを、またつらつら書いていけたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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