みなさま、おはようございます。
日本一時帰国まで、あと1ヶ月と少しとなりました。
日々持ち物リストややることリストを更新しているのですが、改めて思うのは…メルカリのために持ち帰るものが多い、ということ。
手放し先としてのメルカリ
売る方も、買う方もたくさん利用してきたメルカリ。
これまでは不要になれば捨てるしかなかったものも、メルカリで必要な方に譲ることができるようになって、私の生活は大きく変わりました。
なかでも、縁あって自分の元に来たけれど、生活や気持ちの変化によって手放したいと思うようになったものを、喜んで引き受けてくれる人に手渡せるということに、私自身嬉しさと心強さを感じています。
でも、1年ぶりに日本に滞在しようと思う時、その持ち物リストの中で結構な数とスペースを取るのが、「メルカリするもの」というのは、なんだか釈然としない気持ちもあって。
だって、飛行機で持ってきたものを、また飛行機で持ち帰って手放すって、何も減っていないようにも見えるかもしれないけれど、やっぱり何かを消費しているような気がします。
最終手段ではないと思っている
もともと持ち物が少ないこともあって、メルカリで手放すために一時帰国のスーツケースに入れていくものは、他の人から見たら決して多くはないと思います。
でも私としては、普段の生活で手に入れるものと手放すものがかなり減っているので、メルカリに出すものとしてまとめてみると、とても多いと感じています。
今回メルカリで手放すために持って行くものたちは、以前の私が持っていた「捨てるよりずっと前の段階としてメルカリで次の方にお譲りする」という気持ちや行動の「残りもの」なのかなと思ったりします。
捨てるのは最終手段であって、メルカリで次の人に譲るのは、捨てるよりずっといいこと。だから積極的に利用すべし、と思っていました。
今も、捨てることよりはずっと良いと思っているし、利用は続けていくつもりですが、私はいつしかメルカリに頼りきっていたのかも?とも思います。
「とりあえず手に入れてみて、違ったらメルカリに出品すればいい」「仮に私に合わなくてもメルカリに出せば良い値で手放せる」と思ったりして購入を決めたことがないとも言えないなと思っていて。
一度購入して中古で手放して売り上げがあったとしても、全体で見て得していることはあまりないし、出品したり発送の手続きにかかる私のコストもあります。そして輸送会社の人的コストや車から出る排気ガスもあります。
そういうことを無視して自分のところに出入りする物のことしか考えずに、安易に利用していたところもあったな、なんて反省もあります。
1年ぶりに帰国するというとき、そんな「メルカリ用」となった荷物を見て、そんなことを感じました。
買わないし、手放さない
この半年くらいにかけて買ったものはすべてブログでご報告していて、その量はかなり少ないと言えると思います。
買わなくなって思ったのは、それと同じくらい、手放さなくていいということが心地よい、ということです。
以前は出ていく物の量も多かったけれど、入ってくる物の量がかなり少なくなったことによって、出ていく物の量も大きく減りました。
そんな1年を経て、自分の元から出ていく物、つまり手放す物が少ないということも、また嬉しいことなのだと感じるようになりました。
冒頭で書いた通り、メルカリで手放したいから日本に持ち帰る物はあるにはあるのだけど、でも一度そこに入れたものの中から、手元に戻したものもあります。
今は使い道がないけれど、この先役に立ってくれるかもしれないと思う物や、今は役立てられないけれど、物としては自分の好みにも合うし、一旦手元に置いておこうと思うもの。
以前はそういうものはいち早く手放さないと気が済まなかったけれど、今はまたちょっと考え方が変わって、うちにいてもらってもいいじゃない、と思うようになりました。そう思えるだけの物理的なスペースだけでなく、私の中の気持ち的な余裕が生まれたのだと思います。
まとめ
自分への戒めとして、最近考えていたことを共有しました。
書くまでもないと思いますが、メルカリというサービス自体やそれを利用する人を批判する意図はありません。私自身も利用者であることは変わりないです。
また来年も海外で過ごすならば、「手放すために日本に持ち帰るもの」が今回よりもずっと少なく、できればゼロになったらいいかもな、なんて思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!