コンプレックスの手放し方、こんな方法もある

心のこと

みなさま、おはようございます。
今日は「コンプレックスとの付き合い方」という件名でいただいたお便りから、思うことを書いてみました。
少しでもご参考になることがあれば嬉しいです。

どうしたらコンプレックスを活かせる?

差出人:Akiさん

件名: コンプレックスとの付き合い方

こんにちは^^

この↓ツイートを拝見して、ちょうど最近どうしたら、コンプレックスと思っていることからリリースされて、むしろそれを活かしたり、できることならチャームポイントくらいに思えるようになったりするかなぁなんて思っていました。

美咲さんの思うところをお聞きできたらうれしいです^^

Akiさん、お便りありがとうございます。
私の場合ではありますが、どのようにコンプレックスから解放されてきたのか、思いつくことを言葉にしてみますね。

コンプレックスにしていたのは自分だった

振り返って思うのは、自分の特徴について「コンプレックス認定」していたのは、他でもない私なのだよな、ということ。

もちろん他の人から欠点のように言われて傷ついたり、気にしてしまったりということもありますよね。
でもそれはただのその人の意見であって、それを受け入れる必要はなかったのだよなあ、と今では思います。以前はなかなかそういう発想に至りませんでした。

今は「そうかこの人にはそう見えるんだなあ。でも私はそうは思わないな」で終わりにできるのですが、人の意見が今よりずっと大きく聞こえていたときは、それに揺さぶられてしまいがちでした。

比べたうえで優劣をつけていた

よく「他人と比較しない」ということが言われますが、確かに大事だなあと思いつつ、比較それ自体は悪いことでもないかも?とも思っています。
比べるだけであれば単に違いが見えるだけで、その違いを理解することは悪いことでもないなと。
そのうえで優劣をつけることがコンプレックスに繋がるのではないかと思います。

それにはメディアの影響も大きいと思います。
例えば、ふくよかより細身がいいとか、色黒より色白がいいとか、背は低いより高いほうがいいとか。
なんの先入観もなしに捉えれば、なぜそのほうがいいのか、どれもよく分からないことばかりに思えます。
なんとなくそっちのほうがいいとされていることがあらゆるものに浸透していて、優劣の基準を刷り込まれていたと思います。
大人になるにつれて、「一般的にいい」というふわっとした基準からは距離を置いて自分の視点で物事を見るようになりました。

身体的な特徴について褒められるのが嫌だった

私は幼い頃から細身で長身なのですが、それを気にせずいられるようになったのは、ここ2、3年のことです。

中学生くらいが一番嫌で、年齢とともに認められるようになりましたが、大人になっても嫌だなあと思っていたのが、人から良かれと思って身体的な特徴について言われること。

「細身でいいね」「背が高くていいね」と褒めてくれていることは分かるのですが、自分で選び取ったのではない身体的な特徴について、人から良いとか悪いとか言われることがそもそも嫌でした。
なぜその人目線で、私の身体というプライベートなものについてジャッジされなくてはいけないのか、その行為それ自体にそこはかとない侮辱を感じとってしまって嫌だったのだと思います。もちろん、言葉を発した人に悪気がないのは分かってはいるのですが。

イメージコンサルティングで気づいたこと

骨格診断、パーソナルカラー、顔タイプ診断といったイメージコンサルティングの考え方に出会ったのも大きな出来事でした。

今もそういったYoutubeの動画などを見るのが好きなのですが、実際に動画でその体型や肌や髪の色味の方々を拝見すると、その違いに驚きます。それぞれ違っていて、それでいてみんな素敵で。

ただ違いがあるだけなんだなあ、と新鮮な気づきがありました。
各人の特徴を活かして楽しんだ人が魅力的に見えるのだなということも感じました。

実は私、骨格診断に初めて出会った頃は、骨格ストレートに似合うものが好きで憧れていました。(自身は骨格ナチュラルです)
それまで持っていた服や好きなデザインも骨格ストレートに当てはまるものが多かったです。
しかしながら、しっくりこないものが多くて服を買っては手放し、買っては手放し…一例ですが、私のしっくりこないエピソードです。

  • タイトめのテーパードパンツは窮屈そうに見える
  • 胸元の大きく開いたトップスは首と胸元の骨感が悪目立ちする
  • タイトからジャストのサイズ感は着ている自分もなぜか窮屈
  • トップスもボトムスも丈が足りていないように見えることがある(そういうデザインなのに)

「オーバーサイズはタイプじゃない」と長らく避けていたのですが、着てみたら綺麗に見えるし、服を着ている私の体も自由に感じました。

そこには優劣はなくて、その人にしっくりくるヒントがあるだけでした。
自分の身体の特徴に優劣という判断基準は必要ないと気づいたきっかけでもありました。

身体的な特徴に対して、優劣というそもそも必要ない基準を適用するなんて、今までなんて意味のないことをしていたんだろう!と思ったら、目の前がぱあっと開けるような感じがありました。
それが私がコンプレックスという「自分で勝手に作り出したおばけ」からリリースされたときだったのだと思います。

過去の自分とも優劣をつけない

「比べるなら他の人ではなく過去の自分と」という考え方は、自分を向上させていくうえではとても有効な視点だと思います。
でも、過去の自分と今の自分とを比べないということもできるな、とも思っています。

ヒールやミニスカートを履いていた頃とか、メイクを頑張っていた頃とか、肌がもっと若々しかった頃とか…そんな過去の自分と今とを、別に比べなくてもいいのでは?というのが私の考えです。

新しい自分や別の自分になったのだ、という風にも思わないけれど、新しい在り方として今の私が見つけたこの自分をそこそこ好きでいる、それだけで十分かもな、と思っています。

私は以前の自分に戻りたいとも思わなくて、ただ過去の自分として懐かしく愛しているだけで、今の自分との比較対象にしようとは思っていないのですね。

過去の自分と比べてどうなりたいか自分を見つめるのも良いけれど、今の自分がどんな状態を心地よいと感じるか、しっくりくるのか、フィットするのか、ということに向き合うだけでもいいかなと思っています。そこにちょっと先の未来の希望もエッセンス程度入れられたらいいな、と。

まとめ

Akiさんからのお便りをもとに、コンプレックスについて考えてみました。
自分でもあまり言語化していなかったので、Akiさんのおかげで考えて書くきっかけとなりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
何か参考になることがあれば嬉しいです。

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