悩まず生きるタイプの人になっていた

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みなさま、おはようございます。

ふと思ったのですが、私には「悩み」とか「悩む」ということが存在しないのかもしれません。

いろいろ思い返してみても、ここ10年くらい「悩んだ」という経験があまり思い付かないからです…

「悩む」ってどういうこと?

でも、思い返せばこれまでの人生で、何度か「悩みとかって特にない?」と聞かれたことはありました。

悩みがあった時もあったと思うけれど、大人になってからは、あまりないような気がしています。

そもそも、「悩み」って具体的にどんなことを指すのか、あまり分かっていないかも?と思い、調べてみました。

なやみ【悩み】
読み方:なやみ
1 思いわずらうこと。心の苦しみ。「―の種が絶えない」
2 やまい。病気。
「御目の―さへ、この頃重くならせ給ひて」〈源・明石〉

weblio辞書より

思いわずらうこと。心の苦しみ。というのが一般的にイメージする「悩み」のイメージに近そうです。

そしてやっぱりこの答えを見ても全然ピンと来ないので、私は物事が「悩み」にならないタイプなのかもしれません。

「悩む」ではなく「考える」

とは言っても、気になることや、これからどうなるかなあと思っていることはたくさんあります。

でもそれらについて悩んでいるということもなく…。

もやもやとしている状態のままそこにある、ということはほとんどなくて、自分なりに調べて考えて考え抜いて、「方向性はこれで決まり」「まずこうしてみて様子をみる」「いくら調べ考えても自分なりの答えが見つからないので自然にまかせる」などなど、一旦自分なりの見解を出すようにしています。

だから私におけるプロセスは、

「気になる」→「調べる」→「考える」→「決める」

これしかないような気がします。

そこに「悩む」が入る余地はなくて、「考える」の中に「熟考する」とか「親友に意見を聞いてみる」などがあると思うのです。

誰かの答えに期待しない

調べたり考えたりする過程で、さまざまな情報に出会うのですが、どこかにありそうな、自分にフィットする答えを見つけよう、という考えもあまりしていません。

イメージで言うと、ネット上を探して見つかる誰かの正解を自分の正解にしない、ということかもしれません。

他の誰かがその人のために出した答えはその人のためのものだし、自分に合うとは限らないことがほとんどだと思っています。
もちろん他の人の意見を聞いて気づきがあったり、新しい視点を得たりということもありますが、それを過度に期待すべきでないとも思っています。

やっぱり自分で考えて納得して決めたことでないと、気持ちがブレると思うからです。

私も本を読むのが好きなので、誰かの体験談とか情報をたくさん取り入れはしますが、その上で自分はどうするか、ということを必ず自分で考えて見つけるようにしています。

取り入れたい考え方や方法を見つけた時も、それが自分になぜ合うと思うか、そこにどういう理由があるのかを、自分に置き換えて検証してみるというプロセスが大事ではないかと思っています。

たくさん情報があるからこそ、自分を主軸にして考えていないと、他の誰かの考えに、体ごとふっと持っていかれそうになるような、そんな気持ちになることがあります。

まとめ

とりとめのないことでしたが、なんだかふと書いてみたくなったので文章にしてみました。

簡単に答えのようなものが手に入るように見える(けど実際はそうではないと思う)時代かなとも思うので、自分なりの視点をいつも忘れずにいたいと思っています。

私がブログで共有していることも、私による私の考えです。何かヒントになることがあればお役に立てて嬉しいけれど、ご自身なりの答えを見つけることが何よりも一番だと思っていますし、尊重しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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