心と体のバランスを崩した私と、そのあとのこと

心のこと

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みなさま、おはようございます。

今日はいただいたお便りをもとに、オフィスワーク時代に心を壊しかけた経験について共有します。

あくまで私の体験にはなりますが、どなたかのお役に立つことがあれば嬉しいです。

バランスを崩した経験について

まずはいただいたお便りを紹介します。

甘夏さん、お便りをいただき、ありがとうございます♪

差出人:甘夏さん

件名: 美咲さんと仕事について、お伺いしたいこと

美咲さん、おはようございます。
いつもTwitterのつぶやきや、ブログの更新を楽しみにしております。

かつて、美咲さんの前のブログを見つけてから
何度も何度も記事を読み返しています。
その度に、自分の背筋も伸びるような気がしていて。
勝手に憧れのお姉さんのような、とても近しい存在に感じています!笑

さて、表題の件なのですが
私は今、職場や仕事のストレスで適応障害と診断され、休職しております。
昔から頑張りすぎる性格で、慣れない環境で無理をしてしまったようです。

今は休むことが一番、だと頭では分かっているのですが
前と同じように働けない自分、成果を出せない自分、迷惑をかけている自分が
情けなく、イライラとしてしまうことがあります。

また、こんな状態で本当にいつかは楽しく過ごせるようになるのか、という不安や
メンタル系疾患を周りの身近な人にわかってもらえない辛さなど
色々なネガティブな感情が押し寄せてしまうことがあります。

美咲さんも、かつては仕事で心を崩してしまいそうになったと
以前の記事で拝読したかと思います。
よろしければ、その際のエピソードやどうやって回復していったのか、
どうやってそこから「well-being」に近づいていったのかなど
差支えない範囲で教えていただけないでしょうか?

勝手に、美咲さんのお話を聞けることが一番の処方箋のような気がしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

甘夏さん、お便りありがとうございます。

つらかった時のことについてきちんと書いたことはなかったのに、ちょっとだけ共有した言葉を覚えていてくださって、ありがとうございます。

渦中にいるときって、もうどこにも行けないような、すべて終わりのような、明るい日々が戻ってこないような気持ちになることがありました。もとに戻す方法も自分では分からないし、もどかしくもありました。

美咲さんも、かつては仕事で心を崩してしまいそうになったと
以前の記事で拝読したかと思います。よろしければ、

  • その際のエピソードや
  • どうやって回復していったのか、
  • どうやってそこから「well-being」に近づいていったのか

など差支えない範囲で教えていただけないでしょうか?

私はカウンセリングの技術を持っているわけではないので、アドバイスなどはできないのですが…

甘夏さんがお便りに書いてくださった通り、自分の経験を共有することはできます。

今までブログやTwitterでも、きちんと書いたことはない話です。
以上の3点について、私の経験を書いてみますね。少しでも参考になることがあれば嬉しいです。

心を崩しかけたエピソード

その際のエピソード(中略)など差支えない範囲で教えていただけないでしょうか?

その時のことを思い出しながら、そしてスマホや過去のブログなどの記録を遡りながら、当時のことについて整理しました。

入社2年目の秋から3年目の春

心と体のバランスは徐々に崩れつつあったのだと思いますが、自分でも制御できない状態になりつつあったのが、入社2年目の秋から3年目の春くらいだと思います。2015年8月から2016年4月くらいのことです。

私は営業職で、入社1年目の夏に配属されて秋には得意先を持ちました。…というか、めちゃくちゃな状態だった年次の近い先輩の得意先とその業務をまるっと引き継ぎました。

新入社員研修と営業研修が終わって配属されたばかりの状態で先輩のクレーム対応をしたことを今でも覚えています。

上司としては、早い段階から実力を身につけてほしいという期待を込めていたのかなと思いますが、でも今振り返れば、新入社員にさせる仕事ではないと思います。もしそこに私みたいな先輩がいたら「それはまだ早いんじゃないですか?私が代わります」って言えたのに。(…と思うことで当時の自分を労ってあげる。笑)

いろんな部署がある得意先でしたが、なかなかに要求が厳しくて(めちゃくちゃな状態だったのでこちらの印象がすでに悪かったというのもある)…

納期の短い仕事が多く、細かいチェックと業務量も多く、ひとつでも間違うと得意先の売り上げに大きく影響するので、ひとつのミスも許されないという感じでした。

先輩の仕事を見て徐々に学んでいくのではなく、いきなり引き継いでいたので笑、何が重要で何がそれほど重要でないのか、もっと前もって準備できないか、より簡単で間違いのない方法に変えられないか、などなど…いろんなことが分かって、そういうことが実現できたのは、もう少し後のことでした。

そんな感じで、得意先を持った入社1年目の秋から丸一年が経った入社2年目の秋、大きな仕事がひと段落した途端、緊張の糸が切れたかのように心と体のバランスが取れなくなりました。

残業と休日出勤

22時に退社できたら「今日は早い」と思うくらい。0:50の終電に間に合うまで残業していたし、土曜日に休日出勤することも多かったです。

会社から自宅はドアtoドアで45分ほど。決して遠くはなかったけれど、週に何度かは、会社から20分ちょっとで行ける父が住むマンションに帰っていました。

できるだけ寝る時間を確保したいというのもあったけれど、本当は、いっぱいいっぱいの心を、家族と会うことで少しでも安心させたかったのかもしれませんね。

こんな症状があった

当時を思い返すと、こんな症状がありました。

  • 仕事中、理由もなく涙が出てしまいそうになるのでトイレに駆け込んでこっそり泣く。
  • 誰かが自分の部屋に侵入してくる不安があって、窓用の鍵を購入して取り付けたり、1日に何度もドアの鍵が閉まっていることを確認してしまう。
  • 安心したかったのか、月に一度は実家に帰省していた。
  • その頃の記憶があまりない。

土日に帰省した時、当時16歳だった妹と、電車でショッピングモールに行き、遊んだことがありました。秋の夕日が差し込む駅のホームで帰りの電車を待ちながら、涙をこらえていたことを今でも覚えています。つらい気持ちは誰にも話そうと思えなかったけれど、ただ妹がいてくれることがありがたいのと、東京での生活に戻りたくないのとで、胸がいっぱいでした。

こうやって書いてみると日常生活に支障をきたしそうですが、はたから見ると、きっと普通に生活しているように見えたのだと思います。誰かに気にかけられた記憶はないし、なぜだか恥のような気持ちが働いて、相談するということもできなかった、というかするつもりがなかったです。

「人にSOSを出すことは恥」という価値観を持っているのではありません。

 

文章のとおり、私の意思とは別に、そのような気持ちが働いたということを表したかったのです。

私もすぐに誰かにSOSを出せたらどんなに良かったかと思います。でも、当時の私にはできなかったのですね。

 

「恥」という言葉について問合せフォームからお便りをいただいたので、追記しておきます。

産業医との面談

いよいよ、自分ではどうにもできそうにないという時がありました。

もうここから、この状態から絶対に抜け出せない、という思い込みが強くなってしまって、ある時、もう無理だと思ったのです。

予約もなしに社内の医務室に駆け込んで、産業医に面談してもらいました。

泣きながら支離滅裂にその時の状態を説明したような気がします。一通り話して落ち着くと、産業医がすぐに上司をこの場に呼ぶとのことでした。

上司はとても驚いていて、まさか私のことで産業医に呼ばれるとは想像もしていなかったと話していたような気がします。産業医と上司と3人で何か話しましたが、全く覚えていません。笑

心療内科へ

産業医の判断で、心療内科に通うことになります。

これまた覚えていないのですが、3回くらい通ったのかなと思います。

医師からは、診断書を出したうえで、仕事を制限し、薬での治療を開始するかどうか、微妙なライン。どうしますか?と聞かれました。

どうしよう?と思ったものの、一旦診断書はもらわずにいることにしました。

なんでだろう?誰にも話せなかった

今でもこの時のことを思い出すと、思い出せることもありつつ、なんだかあまり記憶がないのですよね。

そして同時に、月1で会っていた親友や、文通友達に相談することもできただろうに、なんだかそれはできなかったのだよな、と思い出します。絶対に心配させたくなくて、家族にだけは相談はおろか悟られないように気をつけてさえいました。

ブログには素直な気持ちを書けばよかったのに、と今なら思うのですが、ブログやTwitterでは誰かの心を明るく照らすような、ポジティブなことを共有したいと思っていたので、やはり難しかったのでしょうね。

回復に向かうきっかけとその道

どうやって回復していったのか

ここからは、回復に向かうきっかけとなったことを2つ共有します。

ここに書いたことだけではないとは思いますが、私には有効だったという出来事です。全ての人に当てはまるとは思いませんので、その点ご留意くださいね。

恋人に別れを告げられる

2016年3月に、4年半ほど付き合った恋人に別れを告げられました。

学生時代にmixi(!)で出会い、彼は関東の自分の地元で就職したので、遠距離?中距離?恋愛でした。

会うのは2ヶ月に一度程度とのんびりだったけれど、そこそこうまく行っていて、数年内には結婚して、彼の地元に私が転勤かな?なんて思っていたのに…

そんなことを考えていたのは私だけだったようです!笑

電話で別れを告げられて、他に好きな人ができたわけでもないのだけど「あなたがいなくても大丈夫な生活になってしまったんだよね」と泣いていました。

いや泣きたいのはこっちなんだけど?という冷静な気持ちでしたね。笑

まあでもなんかそういうことなら仕方ないし、私にできることはないので、すんなり了承して終わりました。

そうしてみて驚いたのが、その恋愛に全く未練がなかったこと。

それどころか、別れを告げられてスッキリしたというか、ものすごく清々しくなってしまって、日常生活がなぜか生き生きし始めたのですね。

私はとても好きだと思っていたけれど、いつしか愛情というよりもむしろ、執着に近い気持ちになっていたのかもしれません。フラれて以降、彼のことで友人に相談したり、考えたり、悩んだり、泣いたりということが無くなって、解放されたように感じました。

ヨガスクール入学

2016年5月から、全米ヨガアライアンスRYT200取得のために、土日はヨガスクールに通うようになります。

心身のバランスを崩しながらも新しい挑戦のために準備していた…って、一見努力家でいい感じもするけれど、今の私からすると、頑張りすぎ…と思います。修行か?

でも、こうしてスクールに通うことが、結果的に心を軽くすることにつながりました。

スクールの科目にあったヨガ哲学からの学びもあったけれど、一番は、資格が取れたらヨガの仕事に転職すると思っていたから。

「私の本業は土日に学んでいるヨガの仕事で、平日の仕事は趣味なんだ」と大胆に捉えるようになったら、ちょっと気楽に仕事と付き合えるようになりました。

仕事に関係ないことだったけど

2つとも、仕事と関係ないことなのですよね。

仕事に追われて心身のバランスを崩したのは事実だけれど、恋愛、将来像、住む場所など、いろんな考え事を一緒くたにしてつらかったということもあったと思います。

思考に割ける気力が制限されるというか、問題や物事を整理して、順序立てて考えて、自分を安心させる余裕がなかった。

恋愛の破綻とヨガスクールで新しい経験をし気づきを得ることで、ひとつずつ整理されていって、物事をもっと気楽に捉えられるようになったのかもしれませんね。

自分に無理をさせずに生きること

どうやってそこから「well-being」に近づいていったのか

ここからは、この経験を経て仕事とプライベートで意識していたことについて共有します。

仕事で意識したこと

ラクに仕事する

初めからこれができたら苦労しなかったのですが。笑

期待されると応えたいし、仕事も早く覚えたくて、頑張りすぎましたね。頑張りすぎていたという自覚もなかったけれど。

人生で初めて参加したヨガレッスンで、インストラクターの方がこんなことを言っていたんです。

「今日は、60%くらいの力でやってみてくださいね、気持ち良く呼吸できるくらいの力で」

仕事も、こんなんで大丈夫かな?と思いつつ、60%くらいでやってみたら、意外と大丈夫で。
なーんだ、60%でやっても、他の人から見たら十分合格点なんだ、って気づいたら、気持ちがちょっと軽くなりました。

ちょっとしたミスがあっても、慌てず、誠実に対応はするけれど、深刻に捉えすぎない。深刻に捉えれば捉えるほど良いリカバリができるわけでもないので、気持ちだけはいつもふわっと軽く持つように意識しました。意識しないと、わりとガチガチに力んでしまうので。笑

仕事とそれ以外は自分で線を引く

職場での謎の暗黙のルールとか、上司先輩の誘いを断れないとか、相手がどう思うか心配になる…そういうことは、考えなしに従っておくのではなく、自分で線を引くようになりました。また、人がどう思うかは私の問題ではなく人の問題と思うようになりました。

所属部署の飲み会が多かったので、行きたくない時は誘いの時点で断りました。大丈夫、私がいなくても飲み会は十分楽しいので。ちょっと薄情かもしれませんが、自宅でゆっくりすることや、ヨガのレッスンに参加するなど、まずは自分との約束を守ることにしました。

飲み会に参加する時も、やたら長いので、自分が決めた時間を予め伝えておき挨拶して帰ったり、一次会が終わって店の外に出た瞬間に迷わず帰っていました。大丈夫、私がいなくても誰も気づかないし、「帰ったのね」と思うだけです。

業務時間外に電話等で連絡が来ても、よほどの緊急時以外は出ないでいてみると、意外と大丈夫でした。緊急ならばメッセージを併用したり、何らかの手段で連絡を取ろうとしてきます。そういう時はきちんと出て対応するようにしましたが、そうでないほとんどの場合は翌朝の対応で十分でした。

きっと職場では空気読めないやつだったと思いますが、ここは妥協せずに大事にしました。それは線を曖昧にした結果、こんなことがあったから。

必要に駆られて残業したことがありました。
23時頃に最寄り駅について、自宅途中のコンビニにチョコシューを買いに入りました。

でもそのお店にはチョコシューが売っていなくって。

売っていないことは分かるのだけど、それからどうすればいいか分からなくて、何も考えられず5分10分その場に立ち尽くしたことがあります。
何か似たものを買って帰るとか、諦めて帰るとか、他のコンビニを当たるとか、そんな簡単な選択肢なのに、何も考えることができなくて。

その時、こういうことを繰り返しているとまたバランスが崩れてしまいそうだ、と思ったのです。

だから、自分で引いた線を大事にすることにしました。

後輩たちのケア

後輩たちの中にも、心身のバランスを崩す人がいました。(今考えると、環境や育成の仕方に問題があるのかもしれませんね…)

部内や課内など比較的近い場所に後輩がいるときは、特に注意して見るようになりました。

実際、心療内科に通う人、仕事を休むようになる人、異動する人、辞める人などいたので…一緒にランチに行ったり、外出で同行する機会があれば、自分の体験を共有したり、先輩後輩とか仕事の人間関係という枠を一旦外して、つらい状況について話せる人という間柄で言葉を交わしました。

こんなふうに書いていると素晴らしく思えるかもしれませんが、この点についてどれくらい私が支えになれたのかは正直分かりません。でも、自分の経験も他の誰かのサポートに少し役に立った、と自分なりに思えたことが大きかったと思います。

プライベートで意識したこと

自分が本当に求めていることに向き合う

たとえば、もう何もせずゆっくりしたいけれど、でもあれをやらねば、と思うとき。ゆっくりしたい自分の気持ちより、やることの方を優先することの方が多かったです。

そうではなくて、存分にだらだらしたいときはして、そしてそんな自分もまた自分だとOKを出すようにしました。それで良いのだと。そんなトレーニングを日常で行うと、「本当はこうしたいこと」が少しずつ浮かんでくるようになりました。

今日はヨガに行くのをやめて部屋で読書したい、ランチには少し高いけどこれを食べたい、鎌倉に引越したい、サーフィンを初めてみたい、海外旅行に行ってみたい…などなど。

自分の本当の気持ちと向き合うことを大事にしました。

違和感を無視しない

本当は喉が渇いているのに水を飲まずに目の前のことをやってしまうこと。

心の中に「?」という直感があるのにそれを見過ごすこと。

もう帰りたいな、と思うのにそこに居続けること。

そんな自分の中の違和感を無視しないようにしました。なぜそう感じたのか、ではどうしたいのか、ということをちゃんと自覚することで、自分の声を聞けるようになってきたと感じます。

心地よい暮らしを大事にする

このブログのテーマでもありますが、何より、心地よさを大事にすること。

怠けることや、レベルを落とすことでそれが達成されるわけではないことをもう知っています。では何が自分にとっての心地よさなのか。それは私にしか分からないわけで。

自分では変えられないことは本当にたくさんありますが、でもどうにかできることも必ずあるものです。自分を見つめ、暮らしを愉しむことで癒されていくものもあるのだと思います。

まとめ

いただいたお便りをもとに、オフィスワーク時代の経験について共有しました。

甘夏さんやお読みいただいた方にとって、何か参考になることがあれば嬉しいのですが…!

長くなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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ホーチミンシティでの防災について考えてるのだけど、やっぱり避難時にヘルメットとヘッドライトは要るよなあと改めて思う…
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