今わたしが求める「美」ってなんだろう

体のこと

みなさま、おはようございます。
しばらく旅の記事が続いたので(それにまだ続く)…
今日は最近考えていたことについて、つらつら書きたいと思います。

過去のわたしは「美」についていつも考えていた

Twitterでつぶやいておりましたが、2013年〜2019年に書いていたブログを読み返し、再公開することにしました。

- Simple, Beauty, Well-being
2013~2019に更新していたブログです。新しいブログには最新記事のURLから遊びに来てくださいね。

それ以前の高校生のときのブログも読み返した(こちらは削除しました)のですが、2つのブログを読んで共通して思うことは…

外見と内面の「美」についてあれこれ考え実践しているなあ、ということ。

毎日、思考の25%、いやそれ以上は外見と内面に関わる「美」について考えていたような?
月日の流れ、ミニマルな生活の実践、加齢、結婚といった身の回りの変化とともに、とりわけ外見における「美」は日常的に考えることではないもの、というカテゴリーになってしまったような気がしています。

自分のなかの「美」の軸が変わった

過去、自分の実践する「美」にはどんな動機付けがあったのかな、と振り返ってみると…

中学・高校時代

恋多き青春時代だったので、モテや小悪魔活動(?)が律された生活習慣や勉強のモチベーションになっていた。田舎出身のコンプレックスからお嬢様的な外見や内面に憧れていた。都内の私立大学に進学を決め、大学生になったら雑誌「JJ」に出られたりするかな〜と妄想していた。

大学時代

入学早々わたしは雑誌「JJ」の読者モデルになれるタイプではないと気づく。大学時代前半は、憧れの東京に出てきたのが嬉しくていろんなお店でいろんなタイプの服を着て物が増えるし迷走する。後半は、大学での学びが深まって楽しく、シンプルな服やメイク、美容に。基準が「自分」になっていく。

大学院時代

インスタグラムで知ったシンプルな「美」に憧れるようになり、シンプルライフからミニマリズムを知る。部屋も持ち物もおしゃれもミニマルでベーシックになる。基準はほとんど「自分」に。

社会人時代

ミニマリストな生活は継続しながらも、評価されること、ジャッジされること、ラベリングされることが多くなり、ほとんど無意識的に、ほかの人の視点から自分のイメージを作っていたかもしれない。激務で心身の体調を崩し、ヨガやワークアウトに出会って健康な体と心を育てる大切さに気づく。美容もファッションもミニマル。環境になるべく負担をかけない暮らしも模索し始める。

現在

結婚し、退職し、異国にやってきたりして、おしゃれしたい心意気とか素敵でいたい気持ちはあるけれど、動機付けになりそうなものが自分の中に見当たらなくて、20代までの野心のようなものもあんまりなくて、このまま美容的なものは諦めて行くのか?と立ち止まっている。

今、道に迷っている感もあると言えるのかもしれないけれど、でも自分としては、外的要因に左右されることもなく、ミニマルでヘルシーな自分的な心地よい場所も見つけていて、美に邁進する時代はなんとなく終わって懐かしく眺めるもの、という感じもあるのです。

決して困っているとか悩んでいるというわけではないし、これが「いろいろ手放して楽になった状態」なのかな、と思う部分もあるのですが。でもなんだか、そのフェーズに行くの、30年早くない?と思っている自分もいて。

内面的な「美」は今もわたしの中で息づいていて、それは「生き方」とか「哲学」とか「人生や暮らしに向き合う姿勢」のような言葉に替わっているように思います。

自分の中で引っかかっているのは、外見的な「美」についてなのだろうな、と思います。

ベトナムでいろんな人の「美」を見て

ベトナム・ホーチミンシティに来て1か月。
道端、旅先、カフェ、レストラン、ショッピングセンター…いろんなところでいろんな人を見かけるのですが、みんな良い悪いとか言われないし言わせないほど、自分のスタイルがあるなあ、と。

同じ空間に、パジャマみたいな服を着た人とクラブに出かけるような服を着た人が共存していたり、お子さんが何人いようと自分がいくつだろうとおしゃれなカフェに来てポーズを決めて映え写真を撮ってもらったり、セクシュアルマイノリティと言われる人を見かけない日はなく彼らは堂々と当たり前にそのままの彼らで活動していて、とにかく…

みんな堂々とそこにいる。「どう見えるか」は気にかけているけれど、「どう見られるか」は気にしていないみたい。

うまく伝わっていますかね…?自分視点での見え方は気にかけているけれど、他人視点での見られ方は気にしていないみたい、という感じ。
もちろん当事者たちの気持ちは全然違うかもしれないけれど、私ははたから見ていてそんな風に感じました。

そんな人々に刺激をもらって、わたしは今自分における「美」について何を思うんだろう?と改めて考えてみました。
内面的な「美」については今も意識が続いている感じがするので、外見的な「美」に焦点を当ててみます。

合理化したい気持ちがあったのかも

過去のわたしは目指す姿と自分との間にあるギャップを埋めるように、外見を磨くという意識があったように思います。
でもここ数年は、みんなありのままで美しいな、磨こうが磨かまいが、それぞれの美しさってあるのだな、と思っています。自分に対しても他者に対してもそう思っています。

その気持ちは変わっていないけれど、いつしか、ありのままの「ほうが」美しい、と思い込んでしまっていたかもしれません。

ミニマルな生活にも、環境に配慮した生活にも、人目を気にしない生活にも、できるだけありのままのほうが都合がいい、そんな思考があったのかも。

でも、大部分は今のままで気に入ってもいるのです。
例えば、日焼け止めと口紅だけのメイク。マスカラ使いたいな、と思ったらまた使えばいいけれど。
リネンやコットンをベースにした、適度なゆとりのある少しの服。ぴたっとしたデニムを履きたくなったらまた履いたらいいけれど。

このへんは自分でも認めていて、今の状態が居心地がいい状態。
じゃあ、「居心地が悪い」の正体ってなんなのだろう?というと…

今のわたしが目指したい外見的な意味での「美」

ずばり、ボディメイク。

もともと痩せ型で何もしなくてもただの細い人だったのですが、筋トレやヨガをサボりまくっていたら、加齢もあって、何もしなくても細い人ではなくなっていました…具体的に感じるのは、

  • 下腹部のうっすら脂肪
  • 空腹時でも下腹部がぽこっと出る
  • 腹筋の縦線消滅
  • 反り腰が戻ってきた
  • 猫背が戻ってきた
  • 胴が長くなった気がする
  • 太ももの肉感が増した気がする
  • 股関節を大きく開いたヨガのポーズがキープできない
  • 脚が短くなった気がする
  • すぐ横になったり寄りかかりたくなる

もう全部、筋力と柔軟性の低下が理由という自覚がある。

以前は、別に筋トレの時間でなくても、体が暇だったら関節を回してみたり、筋を伸ばしたり「ながら」で筋トレしていて、なんでもないことと思っていたけれどその小さな積み重ねや意識付けが良い状態をキープしてくれていたのだな、と思いました。

私の理想は「心身の健康が美につながること」なので、健康を保持する、向上させるという点でも、筋力と柔軟性の回復とそのための習慣化は自分の外見的な「美」につながることとしてまず取り組みたいなと思いました。

まとめ

最近考えていた「美」について、あれこれ書いてみました。
何かひとつの結論が出て終わった問いでもないので、まずはボディメイクの習慣を取り戻しつつ、またひとつずつ気づいたことに向き合っていこうかな、と思います。
思った以上に長くなってしまったのですが、ここまで読んでくださってありがとうございました!

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