みなさま、こんにちは!
1ヶ月ぶりの更新になってしまいました!
7月下旬から日本に一時帰国し、ベトナムに戻ってすぐ日本に住む家族がホーチミンシティに遊びに来、見送った後、熱を出して寝込みました!
今はすっかり回復して、毎日元気に過ごしております!
でもやっぱり、こうして毎週金曜日の朝に行きつけのカフェでブログを書く時間を持ててこそ、「私の通常運転」と感じて嬉しい。
最近のブログ記事は旅に関するものばかりだったので、今回はちょっと違うことを。
今までもずっと感じていたことだけど、今回の帰省でしみじみと感じた、私が地元に抱いている感覚について。
ずっと地元との距離感が分からない
見出しの通りなのですが、私はずっと、地元との距離感が分からない。
引越しはしているけれど、生まれたときから18歳までずっと同じ市に住んでいました。
小学校6年生の時には、必ずや県外もしくは国外の大学に進み家を出て一人暮らしをすると決めていたくらい、生まれ育ったこの場所がなんだか自分にはしっくり来ていませんでした。
でも、東京の大学に入ってからも年に4、5回は帰省していたし、社会人になってからは月に一度、自然に囲まれた別荘に行くみたいに、リフレッシュを兼ねつつ祖父母はじめ家族に会うために帰省していました。
帰省はするし、私の故郷!という感じもあるのだけど、でもやっぱり、なんだかいろいろの距離感が分からないんですよね〜。
地元に戻った弟との決定的な違い
なんで私はこうなのか知る手がかりが欲しくて、今回の帰省では、東京の大学に入ったものの地元で就職し、家族を持ち、実家から車で5分の場所に土地と家を買った弟に、いろいろ聞いてみました。
例えば、10代や20代の思い出が普段の暮らしで思い出されて感情の起伏が激しくならないのか、そのへんで同級生に会ってしまっても大丈夫なのか、そもそもなぜ地元に戻って暮らそうと思ったのか、などなど。
そしたら、私が何言ってるのか分からない、くらいのレベル感で捉え方が違っていました。
弟は、青春時代の思い出が染みついた町で暮らしていても感情の起伏が激しくはならないし、むしろそのへんで同級生に会って「おー!!元気ー?」ってなるのが楽しいし、家族や友人がみんないるこの町でずっと暮らしていこう、ということになんの迷いもなかったと。逆に、4年間東京(のめちゃ郊外)に住んでみて、俺が住むところではないと明確に感じたとのこと。
地元についての感覚が、私とは全く違うみたいでした。
ちなみに、60年以上この町で暮らしている両親にも聞いてみたけど、弟以上に、私が何言ってるか分からないとのことでした。笑
町が10代20代のことを思い出させてくる
夫にこの話をすると、「えっ?昔いじめられてたとかじゃないよね?」と言われたのですが、そういうわけでは全くないのです。昔は今より不自由だったけれど夢中になったこともたくさんありました。
でも、どの季節に帰省しても、昔感じていた気持ちや思考が思い出されて、とにかく感情が忙しくなるのですよね。
冬の初めのくもりの日のもの寂しさは小学校のあの時に感じたやつ、春が始まりそうな季節の夕日の沈み方は社会人の時に帰省してジョギングしていたあの時のやつ、潮の香りが混ざった夏の朝の風は中学生のあの時のやつ、みたいに、事あるごとに町がさまざまな感覚をリマインドしてきて、感情が忙しい。それでちょっと疲れることもある。
弟や両親はこういうふうにならないのだろうか、と思うけど、ならないようでした。
思い出の根付く場所=今の暮らしの場所として、うまく調和しているんだろうなあ。
日本に本帰国した時の暮らしのイメージを持ち始めているのですが、実を言うと地元は私の理想に近い部分もあるのです。
中古や賃貸で住めそうな一軒家も多いし(私と夫は今のところ土地と家を買うつもりがない)、山も海もあるし(サーフィンもできる!)、人も少ないし、朝の散歩にぴったりな自然公園もあるし、ご近所さんも良い付き合があるし、家族もいるし、夫も気に入っているし…良いところは多いのだけど、決定的にダメなところが「私が生まれ育った町」というところなんですよね。そうでなかったら住んでもいいなと思うくらい良いところなのですが…
地元との距離感が分からない理由2つ(仮)
家族と話したり、自分で考えてみて、こんな2つのことが理由なのかな、と思い当たりました。
思い出箱としての地元
青春時代の記憶や気持ちがいちいち思い出されて感情が忙しいから、もうここでは暮らせない、なのではなく…
今もこんなに鮮明に感じられる10年20年前の思い出を、このまま「懐かしいもの」にしておきたいのかもしれない、と思いました。
帰省すれば、あの時の思い出と気持ちにそのまま手を触れられる、そういう場所のままにしておきたいのかもしれない。
ここで今また暮らすことで、その歯がゆさのある新鮮さを薄れさせたくない、ということなのかもしれないな、と思いました。
自分らしさと町が合っていない
学生時代に暮らした町や大学があった町、社会人の前半を過ごした東京都心、確信のある思い付きで引越し社会人の後半を過ごした鎌倉、縁あってやってきたけどすごく生きやすいホーチミンシティ…と地元以外のいくつかの場所で暮らしてきました。
そのうち、大学があった町と、鎌倉と、ホーチミンシティはとても私に合っていると感じていて、自分らしさと町の雰囲気や、そこでの暮らしのフィットが高いのだな、と思っています。
こういう場所で数年暮らすと、その町を離れた後でも、その町がちいさくずっと心に付いてきてくれるような感覚があります。
それを経ていると、過去の若い自分との結びつきが強すぎて、地元での暮らしと今の私の自分らしさが結びつきにくい、ということがありそうです。
というか、地元に暮らしていた18年間のあいだ、自分らしさと町が合っているとは思えていなかったので、いまだにそこで暮らす私らしさのイメージがついていないのかも。
でも、そういう場所だからこそできる、今の私らしい暮らし方の思わぬ新発見がありそうでもある。あるかは分からないけども。
さて次はどこに暮らすのか
日本に本帰国した後はこんな場所に暮らしたいなーというイメージが割とある方なのですが、この先地元との縁が切れるわけではないので、地元で暮らす可能性もゼロではないのですよね。
先にも登場した、きょうだいのうち唯一地元に戻っている弟は自分の土地と家を持っているので、両親としては私と夫に実家の土地と家を引き継いでもらいたいみたいだけど…私にはそれってかなりハードルがあることなんですよね、ここまで熱弁してきた通り。
そして地元に戻ることとは別に、今の実家(二世帯住宅)で両親と暮らす、ということはもう私にはできないよ…?という気持ちもある。
私はひとりで暮らすのが一番性に合っていると確信しています。
夫と暮らすのが不便とかそういうことではなく普通に楽しいのですが、それでも、一人暮らしという暮らし方が個人的には一番合っている、ということです。
そんな私だから、夫とふたり暮らしできていることすら個人的にはすごいので、他の人と暮らすことはたぶん無理。落ち着かない。両親でもきょうだいでも無理だと感じています。(でも気の合う猫は超絶大歓迎)
まとめ
思いつくままに書いてしまいました。
でも、こうして自分の気持ちや考えを文字にしておくと、一旦落ち着く感じがしますね。あと、人にも説明しやすくなる!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!