南国で感じた大人の美しさを際立たせる服のこと

ファッション

みなさま、おはようございます。

ホーチミンシティでの生活も1年が過ぎました。
1年すべての季節や行事をぐるりと経験してみると、分かることもたくさんあります。

その中でも興味を持って感じているのが、服のこと。
もっと言うと、肌や体のラインを見せる服について最近考えたことがあります。

肌見せや体のラインを出す服が普通に着られる

ホーチミンシティは年中温暖なので、やはり着る服は軽く、面積は小さくなりやすいかなと思います。

とはいえ、もちろんこちらにも人によって「服の系統」はあります。

10代の中には、オーバーサイズの服を組み合わせて、あえて無頓着に見せることでそれがおしゃれに見えたり。
20代になるとより多様になってきて、髪を蛍光カラーにした今っぽい人もいれば、比較的コンサバなワンピースを好む人もいたり、ヨーロッパに留学経験がありそうな人はなんとなくそんな感じの服を着ていて。
30代、40代、もっと上となると、社会的なステータスや収入に応じて、かっちりした服を着る人も多くなるし、素敵なバッグや靴を身につけている方も。

そんなふうにいろんな格好の人がいるのですが、そんな中でも思うのが、肌を見せたり、体のラインを見せる服を楽しんでいる人が多いということ。

「多い」というか、もはや「普通」と言っても良いレベル感だと思います。

カジュアルな服装でも、ジーンズはぴったり目でお尻や脚のラインが綺麗に出るものを選ぶ人も多かったり、トップスは胸元が大きめに出るものを選ぶ人も多いです。
夜のお出かけとなるとさらにおめかしした人たちに出会います。日本では都心のクラブ以外には来て行けそうもない感じの、タイトで、肩や胸元、脚の出るドレスをまとった人たちを見かけます。

そこまで行かなくとも、外で夕食をとると、上半身か下半身どちらかで肌見せしたり、体のラインを出す服を着ている人が結構な割合で見られます。また、ジュエリーとかバッグ、靴を夕食仕様に替えている人や、一旦帰宅して着替えてから来ている人もいるイメージ。

もちろん、このあたりの好みは各人の考えによるところも大きいと思います。
私の目には肌見せを楽しんでいる人が多いように見えるけれど、もちろんそういう服装を好まない人はいるだろうし、自由です。

でも、肌や体のラインを見せる服を着ているからといって、人からジロジロ見られることが少なそう?(称賛のまなざしを感じることはあるかもしれないけど)、というのが私がはっとしたポイントなのです。

肌やラインを見せる服を着るのをやめた時

私はといえば、もともとそんなに露出度の高い服を着る方ではありませんでしたが、それでも大学生だった18歳から20歳頃までは、どんな服装が好きなのか模索していて、ミニスカートやスキニーパンツを着てみたり、アメリカのセレブリティの服装を参考にしている時期がありました。

働くようになってからは、タイトスカート(ぴたぴたな素材感ではなく、ちゃんとスーツ用の生地で、私のサイズに合わせてオーダーしたもの)と襟付きのシャツ、ストッキングにヒール靴で、得意先に行く時は上着を合わせる…という、ごく一般的な服装でした。

普通の仕事着ですが、そういうお仕事着に憧れていて、それが着られることが嬉しかったのです。でも、いつしか違った感じ方をするようになりました。

思い出すだけで胸の辺りが重たくなるので実はあまり書きたくないのですが、例として頑張って書きますと…
電車に乗って座席に座ると、前に座っている人にストッキングの脚を見られる。職場の飲み会で視線が気になり不快になることがある。しまいには、朝の通勤時にときどきすれ違う知らない人に写真を撮られていたり…そんな大きなことから小さなことまでが無数にあって、少しでも肌や体のラインが出る服を着るのをやめるようになりました。

スカートをやめてワイドパンツにし、ストッキングとヒール靴をやめて靴下とローファーにし…不本意で不躾な視線からかなり解放されて、やっと息をつけるようになったことを覚えています。

今思い返しても、あれは何なのだろう?と思います。
私の服装は仕事に適していたし、ただのシャツやただの膝丈のスカートなのに、なぜあんなに不快な思いをする機会が多かったのかと、今ほかの国に暮らしてみて改めて思います。

そのときの自分の美しさを見せられる服

そんなこんなで退職してホーチミンシティに引っ越してきたわけで、日常で目にする人々のファッションは冒頭でお伝えしたような感じです。

もちろん人によるけれど、それでも肌や体のラインを見せるドレスや丈の短いスカートやパンツ、胸元や背中を見せるトップスを着ている人に、普通に毎日遭遇するという状況。

さらに、最近はまた一段と外国からの観光客が増えて、彼らのファッションを観察するのも楽しいです。西洋人の旅行者だと、ほとんどの人がタンクトップにショートパンツという服装です。たまに違う人もいるはいるけれど(パンツが長ズボンとか)、圧倒的にそんな服装の人が多いです。

もちろんこの土地が暑いから、ということもかなり大きな理由のひとつだとは思うのですが、もうひとつ、私が感じたのは、肌や体のラインを見せる服は、そのときの自分の美しさを表現できる服でもあるんだ、ということ。

大人である自分の美しさを味わう

それぞれの年代に応じて、体型や肌や髪の質感はやはり変わっていきますよね。

街中で素敵!と思う人たちの中にはいろんな年代でいろんな体型の人がいて、それぞれそれを隠すこともせず(そうしたい人ももちろんいると思うけれど)、そのときの美しさを表現しているように、私には見えました。今の、このときのその人だから、子どもではなく大人になって成熟した人だから表せる美しさをちゃんと美しく見せている、というような感じ。

私は20代までの頃より、今は2〜3kg体重も増えており、全体的にお肉がついたように感じます。(同じヨガのポーズをしていても、以前はこんなところにお肉を感じなかった!という気づきがあります)

でも私はそんな今の自分の体つきもわりと好きで、少しずつ変化していることを楽しんでいる気持ちがあります。

普段、ゆったりとしてリラックスできる服が好きなのですが、それだとほとんど体のラインは出ません。出ているところは、首と手首くらいでしょうか…。それももちろん良いのだけれど、この場所で暮らし、たくさんの人を見てそのファッションに影響を受けていることもあって、私は今の私の、美しいと思うかたちを、ふだん全然見せていないんだよなあ…と思ったり。

見せていないというのは、人に、ということではなくて、自分に、ということです。
結果的には人に見せていることになるのかもしれないけれど、人が見ているということではなく、むしろ、自分による自分のための表現、という意味で、それをしていないなあ、と思っているということです。

かつてはそんな自分のための表現という意味で好きな服を着ていたけれど、人の視線に不快になってしまうあまり、やめたということがありましたね。
でも今は、ここならば、そんな視線にさらされることはなさそうです。…そう思ったら、ちょっと勇気が出て来ました。

今の私がしたい表現を見つけてみたい

そんなふうに思って、いつもと同じリネンシャツを着て出かけることにしたある日。

その日は、いつも前だけジーンズにインしているシャツの裾を、後ろもインしてみました。胸元のボタンもひとつ多く開けて、祖母の形見の金のネックレスをつけてみました。

これまでも持っていたアイテムだけど、雰囲気が違って見えて、少し大人の雰囲気が出るスタイルが気に入りました。
街を歩いてみたけれど、シャツのボタンがひとつ多く開いているからと言って、シャツの後ろがインされているからと言って、嫌な視線に出会うこともありませんでした。

自分らしいスタイルの中に、ちょっと新しいアイディアが足されたような気がして嬉しいです。
今の私であることを楽しめるような、大人であることの喜びを感じられるような、そんなファッションの楽しみ方が少しずつできるようになったらいいな、と思っています。

まとめ

ファッションについて最近感じたことを書きました。

今は、ワードローブに少しヒールのあるサンダルがあったら良いかも、などと考えています。
また変化があったらお伝えしますね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

日めくりカレンダーの残りがいよいよ少なくなってきたなあ
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