実際に「ない」方が不安が少ない不思議

エッセイ

みなさま、おはようございます。

ホーチミンシティに来たことで私は「ないないづくし」になった感があります。実際にこうなる前は「ない」状態に不安を感じていました。
しかしいざその状態になってみると、「ある」ときよりずっと不安が少ないことに気づきました。

私にない3つのものを紹介しながら考えてみたいと思います。

仕事がない

配偶者の海外赴任に帯同するため、退職し、現在は無職です。
今の私にとって就業は優先順位の1位ではないので、就職の予定も今のところありません。

働かないことに自分でもびっくりで、退職それ自体も、無職も、どうなるのか分からない面白さもありつつ、単純に怖かったです。
家計は配偶者の稼ぎのみになるし、私のキャリアは一時中断となるわけで、自分の気持ち的にも無職状態は大丈夫なのか漠然と不安がありました。

でもいざ無職生活が始まったら、不思議と不安な気持ちは消えました。
理由としては、たぶんこんな感じ。

  • 自分で商売をしようとするホーチミンシティの人々に勝手に励まされる
  • いざとなれば働き口は必ずあると思えた
  • 次の職を見つけるだけのスキルやモチベーションが自分にはあると思える
  • 次の仕事の希望がふわっとしているおかげで選択肢が多そう
  • もし配偶者が仕事を辞めてもしばらくは2人の暮らしに何ら問題ない
  • 物欲が減ったので生活費が前ほどかからない
  • 究極的には生活費を稼ぐのではなく食べるものと家があれば良い

自分で商売をしようとするホーチミンシティの人々に勝手に励まされる

道端で食事や飲み物を販売する人、オンラインのみで商品を販売する人、自分のお店を持つ人など、小さくても自分でビジネスを始める人が多いように感じます。
以前カフェで会って話した22歳の女性も、仕事を辞めたばかりで、これから友達とオンラインで古着を販売すると言っていて、そんな姿勢に勝手に励まされる自分がいました。
私が同じようにできたり、したいわけではないけれど、仕事に対して心配より前向きな姿勢を持っていることに清々しさを感じたのだと思います。

物欲が減ったので生活費が前ほどかからない

最近記事にしているように、物欲があまりなくなったので、買い物のためのお金を稼がなきゃ!という気持ちから解放されたように思います。

物欲はどこへ行ったのか?
最近のお買い物体験で見えた物欲について書きました。ホーチミンシティに来て明らかに物欲が減った、というか、必要以上に掻き立てられることが少なくなったなと感じます。

ふだん私が使うお金はカフェ代と電子書籍代くらいです。
家族としても、お金を使うのは食事とカフェ、そしてホリデーの旅行です。

私個人の出費が減ったのは、無職になって自分でお金を稼がなくなったからかな?とも思ったのですが、そうではない気がします。

そこのエリアに行けばいろいろ買えるという場所は、サイゴンセンター(髙島屋)やイオンモール、ビンコムセンターなどのショッピングセンターに限られるように思います。
そういう場所は目的を持たず行くと疲れてしまうので用事だけ済ませてすぐ帰るし、買い物のためにローカルのお店に行きたいときは、何らかの移動手段を使ってピンポイントに行くことになります。

日本だと駅ビルや商店街、特定のエリアにお店が集まっているので、予想しない素敵なものとの出会いやウィンドウショッピングが発生しやすいのかな、と思います。

そんな生活環境と、買い物って疲れちゃう〜という私の元々の性質が相まって、自然と必要なものだけ買う生活になっているようです。

もちろん、家族2人の生活だから買わずにいられるという部分はありますが、少なくとも私と配偶者においては、食べものとカフェ、旅行で十分楽しく生活できるのだ、という実感があります。

イギリス人に学ぶ仕事観

先日読んだ本に、「イギリス人は仕事がなくなったくらいでどうもしない」「仕事のために生きるのではなく、生きるために仕事をする」という旨の記述があって、自分の仕事についても気楽に考えられるようになりました。

今このような生活になっているのも巡り合わせだし、今後またいろんなことが変わってくるかもしれないし、場当たり的というのも違うけれど、その時見えた波にうまく合わせてパドルして乗ってみる、というのもいいかな、と緩やかに考えています。

ものがない

スーツケース1つ、バックパック1つに精鋭たちを詰め込んで来たというのに、そこからさらに減っています。
しかもそれが、無理に減らしているという感じでは全くなく、「あ、これもなくても大丈夫かも」「これだけのものでも十分こと足りる」「これがなくても快適だし幸せ」と自然に思えることが増えてきて、一旦保管するものが増えています。

手放す前の、一時保管箱の中身|海外暮らしで使わないもの
「使わないかなあ」「手放し対象かなあ」と思うもののすぐに決心できないときは、「一時保管箱」に入れておきます。今日はそんな一時保管箱について紹介します。

この記事をアップしたあと持ち物を改めて見てみると、「これも保管箱に入れておこう」というものがいくつかありました。
置けるスペースがあるからそこに置いていたけれど、実はかなり長いこと使っていなかったり、改めて見ると十分使ったと言えるくらいの状態だったり。

置けるスペースはそのままだけれど、置くものがどんどん減ってきて、さらに余白が増えてきたような感じです。その余白が増えるごとに、暮らし方もより身軽になっていくような感じがあります。

服がない

服はありますが、以前の私と比べるととても少なくなりました。

終盤はほとんど在宅勤務だったとはいえ、会社員時代の私服といえば、基本的に土日の2日間に着る服があれば良かったのです。

翻って今は仕事をしていないので毎日私服ですが、今の方が圧倒的に少ない服で生活しています。
着る頻度からすれば会社員時代より今の方が私服の数が多くてしかるべきなのに、そうではない生活をしています。

今は8着の服があって、それでも少な!と自分では思いますが、意外や意外、8着で生活してみたら、「あれ?5着でも十分満足だな」と思うようになってきました。
今ある8着を大事に着るのですぐ減らすということはしないのですが、服の寿命が来たら手放して、後継となるアイテムを買わないということもありそうです。

ホーチミンシティに来るときは、乾季と雨季の温暖な気候とはいえ、「これだけの服で足りるだろうか?まあ足りなければ現地調達しよう!」と思ったのですが、結局1着も買わないどころか、いくつか手放したほどです。

少なくなればなるほど、より十分あると感じられることが不思議です。
服に関しては、1週間のうち一度も使わないものがあるとそわそわします。笑
夏服だけで過ごせる気候だから、要る要らないの判断もつきやすいのかもしれません。

まとめ

ないないづくしなのですが、そうなってからの方が「いや今十分あるぞ」と思えていて、自分でも不思議です。
「ある」と感じるから、不安もそんなにないのだと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!何か参考になることがあれば嬉しいです。
「ミニマリスト」ランキングのバナーをクリックいただけると励みになります!

日めくりカレンダーの残りがいよいよ少なくなってきたなあ
エッセイ