田舎出身の私がサステイナブルな生活と再会するまで

エッセイ

みなさま、こんにちは。
今でこそ、以下のようなサステイナブルな生活を心がけている私ですが…

  • ごみをなるべく出さない選択をする
  • なるべく地元の農家さんや商店から買い物をする
  • どこに行くにもマイボトル、スナックタッパー、エコバッグ持参
  • 物の買い替えは「環境に良いか」という観点も考慮する

実はこれまでの人生でも、今私が取り組んでいるようなことは身近にあったな〜と。
でもそういうことは、なんとなく「オシャレじゃない」「かっこ悪い」そんな風に思っていたな、という気づきを共有したいと思います。

「田舎くさい」が好きでなかった子ども時代

この話をするには、私が生まれ育った環境について説明する必要がありそうです。
一見記事のテーマと無関係に思われるかもしれないのですが、書かせてくださいね。

私は地方中心都市つまり広い意味での田舎の出身です。
見渡す限り畑や田んぼというわけではなく、畑や田んぼはごく身近だけれど車で5分走ればコンビニやスーパーがあるような、そんな中途半端な田舎で生まれ育ちました。

父も母も生まれてから今まで同じ市内に住んでいますが、父は現在も含め合計10年ほど都内に単身赴任しています。

私は小学校低学年のころから、自分の生まれ育ったこの町が合わないと感じていました。

お兄さんが都内の大学生であるためときどき東京に遊びにいく同級生や、お父さんの仕事の都合で外国に引っ越すことになった同級生を、とてもうらやましく思っていました。
外国に引越す可能性はないのか父に尋ねたり、図工の作品では私自身がアメリカ人や中国人になる作品を作ったり、小学4年生なのに女子高生が読む雑誌を買って東京のお店について調べたり、ローマ字は学校で習う前に学習し、英語の授業が始まる前には自分で英語を勉強し始めていました。

そんな東京や外国への強い憧れから、自分が生まれ育った場所がとても「田舎くさい」ように思えて、あまり好きではありませんでした。

手づくりが中心だったことが苦手だった

私の母はごく普通の人で、お弁当には冷凍食品もちょっと使うし、日用品はスーパーで簡単に手に入るものを選ぶような、特段環境意識の高いタイプではありません。
おもに「お金をかけない」という目的のために、手づくりのものが多かったように思います。

友達の家でパーティーがあるときは、母は手づくりのパイのお菓子を持たせてくれましたが、他の子が持たせてもらう綺麗なお店の洋菓子を見て、自分が持ってきたものがひどく貧乏くさく思えたり。
学校で使う給食のナプキンやその袋、体操着入れなんかは全て母がミシンで縫ったものだったり。
家で手作りの食事を食べるのが基本で、外食なんてほとんどしたことがなかったり。
お米や味噌、野菜やそれを使った漬物、梅干しやらっきょうは、祖母や親戚の手づくりがほとんど。
休日に家族で出かける時も、母のお弁当と水筒の麦茶がいつも一緒で、外で食べ物を買うということもほとんどなくて。

今考えればとても恵まれていると感謝しつつ、都会的なものへの憧れが強かった当時の私には、そんなひとつひとつがやっぱり田舎くさくて、恥ずかしかったのですね。
中学生や高校生の頃には絶対にこの町から抜け出すと決めていて、都内の私立大学に進学し、一人暮らしを始めました。

お金も時間も、自由も手に入れた大学生時代

そうして希望通り一人暮らしを始め、大学で学ぶことが面白くて没頭しつつ、授業の合間に都内の美術館や様々なスポットを巡り、バイト代でオシャレなインテリア雑貨や服、アクセサリー、化粧品を買いまくったのが大学2、3年生の頃まで。

月5〜7万円のバイト代を自由に使っていたおかげで生活はギリギリで、大学の同級生のように海外旅行に行ったりブランドバッグを買うことはできませんでしたが、それでも生活を楽しんでいました。

ペットボトルの水を持ち歩くことがなんとなくオシャレだと思っていたり、自分らしさを探すように様々な系統の安くて簡単に手に入る服を買ったり、暇さえあればドキドキしつつオシャレなカフェを開拓していました。

今思えば、憧れの東京での生活を満喫する反面、田舎くさいと思われてはいけない、洗練されて見えなくては、垢抜けて見られなくては、という思いがあったように思います。

そんな毎日でも楽しかったけれど、なんだか自分が見つからないような、浮遊感と不安定さを感じる微妙なバランスだったように感じます。

不安定な自分から、ミニマリストへ

自分にとって大切なものやことは何なのか、本当に大切にしたいことって何なのか、そう考え始めた時に出会ったのが、「ミニマリスト」というライフスタイルでした。
研究を続けるために大学院に進学すると同時に、家賃以外の仕送りをもらわないと決め、ミニマルライフを発信すべく、高校卒業と同時にやめたブログを再開することにしました。

そうしてミニマルな生活を発信しながら自分との対話が増え、自分のあり方を問い直すようになりました。
ブログより気軽にコミュニケーションしようと始めたTwitterで繋がる方も多くなり、発信することで在りたい姿が変化していったようにも思います。

環境に優しい生活を心がけるようになった今

そしてそのあとは、「これだ!」と感じたらすぐやるスタイルが加速しました。

社会人になってからのストレスで潰れそうな自分を癒したくてヨガにはまり、インストラクター資格を取ったり。
少しでも空気がきれいでのんびりした雰囲気の場所で暮らしたくて鎌倉に引越したり。
海が近いから始めたサーフィンで海のごみや浮遊する小さなプラスチックのリアルに直面したり。
海外への旅を経ることでミニマリストライフがどんどん深まったり。
親友の子どもと弟夫婦の子どもが生まれ、子どもたちが安心して暮らせる未来への責任を感じたり。
英語の勉強がてら見始めたミニマリスト海外Youtuberが、ミニマルな生活と同時に、サステイナブルな生活をしていることを知ったり…

そんな流れがここ1〜2年あって、自分のなかでの環境意識が高まり、私もそんな生活をやってみよう!と思ったのでした。

「田舎くさい」ことはサステイナブルだった

そうして、zero waste, low waste, low impact, sustainable lifestyle, living ethicallyを心かげてみたら、なんだか懐かしい事ばかりだったのです。

マイボトルやエコバッグ、軽食を持ち歩き、大好きなお茶もティーバッグではなく茶葉にしてごみを少なくしたり。
近くで採れた野菜を選び、味噌はタッパーを持ち込んで分けてもらう。
出かける時は荷物になってもお茶や水を入れたボトルを持てば良い。
外食が目的でないときは、自分で食事を準備して持って行く。
ちょうどよいものがない時は、買うよりまず工夫したり、作れないか考えてみる。
服やファッショングッズは、家族やパートナーと喜んでお下がりし合う。

これは…私が苦手だった「田舎くさい」に他ならないのではないか…?!笑

こういう新しい生活を始めてもさして困ることがないのは、10代中頃まで触れさせてもらった環境や経験があったからだと思うのです。
むしろこのライフスタイルが懐かしいのは、あのころ苦手だったことが、今度は主体的なものとして戻ってきたような感じがするから。

それに気づいたのは、地元から来た母と一緒に見に行ったラグビーワールドカップで、お互いマイボトルを持参しつつ、母の手づくりランチを食べたときでした。

とくに何も話していないのに「あるものでよければちょっとしたご飯つくってきたよ」と言って、いそいそ準備してくれる。
お金をかけず、手づくりのもので、容器やスプーンも持ち帰ってくれて、穏やかに、特別なイベントまでの時間を過ごさせてもらっているなあ、と。

一人暮らしの部屋に帰宅して夕食の食器洗いをしながら、その日1日がしみじみ良い時間で、なんだか少し泣きました。笑

サステイナブルはむしろオシャレでかっこいい

とりわけ欧米で見られるサステイナブルなライフスタイルは、私が地元に感じていたような田舎くささはなく、むしろオシャレ。

デザインも洗練されているし、その行動自体が先進的でかっこいい、環境保護意識の高いものとして捉えられているように思います。

大学生のころ、ペットボトルの水を持ち歩くのがかっこいいと思っていた私も、今ではマイボトルに水を入れて持ち歩く自分の方が、かっこいいと思っています。
そしてそうする理由や取り組んでいることを話せることにも、誇りを感じています。

週末に豆腐を地元のお店で購入した時、袋を断って自分のエコバッグに入れたら「あら〜それに入れるの?かっこいいわね!」と言われました。
そうですよね、かっこいいですよね!

ひとつひとつ簡単なことかもしれないけれど、そういうチョイスができる自分と日々出会うことで、自分を誇らしく思えるというのもあります。
自分のことだけでなく、他の人、地球環境、地域貢献に思いを馳せながら生活することで、得られる気持ちがあるのだな、と今では思います。

日めくりカレンダーの残りがいよいよ少なくなってきたなあ
エッセイ