マイナスな気持ちの意外な出どころ

エッセイ

みなさま、おはようございます。

先日、親友とのビデオ電話で聞いたひとつの話がずっと頭を離れず、ここ数日生活のなかで答え合わせをしているような感覚があります。
テーマは、マイナスな気持ちの出どころは「ほかの人」ではないのかも?ということ。

マイナスな気持ちをもらうこと

彼女が語っていたのは、コロナ禍で人と話すことがやっぱり減ってしまったね、ということ。
他の人と話すことでポジティブな気持ちをもらうこともありつつ、でもネガティブな気持ちをもらってしまうこともある、と言っていて。
でもあるとき気づいたのだそうです、ずっとネガティブな気持ちは人のそれをもらって疲れるのだと思っていたけれど、そうではなくて、自分で出しているのじゃないか、と。

もらうのじゃなく、出している?

自分が出している気持ち、感情、言葉…そういうものがマイナスだと、自分が疲れてしまうのじゃないか、ということ。
私にとっては新しい視点で、同時に、本当にそうかも、と思わせるものがありました。

例えば不機嫌な人がいたとして、そういう人の雰囲気に飲まれるとなんだかこちらも嫌な気持ちになってしまうこと…私にも覚えがあります。
でも、彼女のその考えを聞いたとき、他でもない私がもやっとする気分になるのは、不機嫌な人に対して、自分がマイナスの感情を持つからではないか?って。
そうすると、結局自分のもやっとした感じを作っているのは、自分の気持ちなのかも?

自分が出す不安や恐れに気づこう

マイナスな感情や気分それ自体が悪いわけではないと思うのです。きっとそれらの元になっているのは不安や恐れ。

まずは自分の中にある不安や恐れについて、自分がどんな風に思ったり、考えたり、話したり、感情として表しているのか、もう少し敏感にキャッチしてみたいなと思いました。

常にポジティブで前向きでいたい、というわけでもないのだけど、あえてネガティブにならず、フラットでいたいなと思うのです。必要以上にマイナスな状態になるのではない、基本をフラットにしておいて、プラスやマイナスに傾いたときに、すぐ気付ける自分でいたい、そんな感じです。

親友の洞察に感嘆しつつ、私も自分の気持ちの行き来と、何を出しているのか?にもう少し敏感でいたいなと思いました。それが心地よく暮らすことにもつながるかもしれな、とも思います。

タイトルとURLをコピーしました