みなさま、おはようございます。
突然ですが、みなさま友だちは多いほうでしょうか?
私は、かなり少ないほうかなと思っています。
定期的に1対1の連絡を取る昔からの友人がちょっと、連絡はあまり取らないけれど部活の仲間やヨガスクール時代の仲間などのグループがちょっと…そんな感じで、実際に日常一番やりとりをしていたりして、心理的に近いのはTwitterのお友だちかも…
営業の仕事をしていた頃、顧客である担当者の方に「プライベートでのお友だちが多そうですよね、みんなの中心にいそうな感じ」と言われたことがあって、ものすごくびっくりしたことがありました。
驚きすぎてその場はなんとなく流してしまったのだけど、いや、私、大切な友だちはいるけれど、全然そんなタイプじゃない…!みんなの中心どころか端の方だと思う…!と思ったことをよく覚えています。
海外で暮らすようになって2か月。今改めて「友だち」について考えています。
海外でも、友だち探しはしないと決めた
こちらに来る前も来てからも、実は何度も行き来している「こちらで友だちつくる?つくらない?」という問い。
行き着くところは結局、「いやいや、日本で暮らしていても友だちつくろうと思ってなかったしできていなかったじゃない」ということ。
私は人と接するのが苦手ではないけれど、でも決して外交的ではなくて、振り返ってみても、友だち探そう!つくろう!と思ってできるタイプじゃない。
どちらかというと、相手の内面と自分の内面に親和性があって、接することで自然とお互いにヒントやアイディアを与え合えるような人と、また会いたいな、話したいな、と思って自然と友だちになっている…という感じ。
だから、大人になってからの方が深いところで繋がる友だちができるようになりました。
数年間お互いの考えや生活にTwitterを通して触れていて、実際に会ってみてとても心地よくて、リアルライフでもお友だちになった&なりそうな方々は実はいっぱいいます(私が一方的にお友だちになれそう!と思っているだけでもある。笑)
そんな感じなので、学生時代も会社員時代も、同じゼミや部署だったとしても、「友だちになる」ということはほとんどありませんでした。
だからこちらで暮らしていても、近くにいるから、とか日本人同士だから、という理由だけで友だちになれるタイプではないという自負があります。
というわけで、こちらに来て2か月、友だち0人です。
友だちと話すことの偉大さ
そんな、こちらでの友だち0人の私ですが、「でも友だちってやっぱり大事だし良いよね〜〜」と感じた2つの体験があります。
1つ目が、14年来の親友とZOOMで話したこと。
コロナ前は月1で会っていたのだけど、ここ2年ほどは数ヶ月〜半年に一度オンラインで話していました。
今回ZOOMで話すのも実に半年ぶりくらい。話したことそれ自体も充実していたのですが、それ以上に、彼女と話してから如実に毎日に張り合いが出ていることに驚きました。
お互いの今の境遇について話して、これからのことや考えていることをぽつぽつと話す。それが実は深い内省になっていて、自分のやりたいこと、なりたい姿、気をつけたいことなどがはっきりと自覚できたからだと思います。
2つ目が、カフェで見知らぬ友だち3人組に遭遇したこと。
韓国人、ベトナム人、ドイツ人の3人の女性たちで、身の回りのこと、仕事、子育て、社会情勢などなど、いろんな話をしていて、なんだかそのエネルギーを私まで浴びたような気持ちになりました。
母国ではない場所で、母語ではない言語で、気持ちを通じ合わせる会話ができる人がいること。しかも、同僚とか先生と生徒とか、そういう組織的な枠組みの中での関係性ではなく、彼女たちはただただ友だちなんだ、と思ったら、すごく尊いなあ…!と思ったのです。
ゆるりと広がって、繋がるのを待とう
自ら友だちを探し求めるのは向いていない私だけど、私の生活がゆるりと広がっていき、その広がりのどこかでもし繋がることがあったら嬉しいな、そんなことを思いました。
たとえば、こんな風になったらいいな、というのはこんなこと。
もう少し感染が落ち着いたらヨガスタジオに通いたいので、レッスンで顔見知りになった人とちょっと会話をしたり、気が合いそうならお茶などできたらいいな。
よく行くカフェに集まる店員さんやお客さんの中で挨拶するような人ができて、ちょっとした会話ができたらいいな。
などなど、私が好きなことや、生活の中で心地よいと感じている場所や時間などの共通点から、お互いに興味を魅かれる人と出会って言葉を交わせたら素敵、そんな感じです。
もしかすると全然そんなタイミングは来ないかもしれないけれど、それはそれでよし。友だちになる人との出会いは、きっと自分も相手もその時になればわかるかな、自然にそうなるものかもな、なんて思っています。